そりゃそりゃ そらそりゃ まはってきたわ まはってくるわ=そりゃそりゃ そらそりゃ 舌が回ってきたぞ 舌が回って来るぞ
アワヤ咽
=「あ」行「わ」行「や」行の音は(中国音韻学の)「喉音(こうおん)」から始まる
サタラナ舌に カ牙サ歯音 ハマの二つは 唇の軽重=「さ」「た」「ら」「な」の行の音は同じく「舌音(ぜつおん)」で始まり、、「か」行は「牙音(がおん)」、「さ」行は「歯音(しおん)」、
「は(ファ)」「ま」の二音は「唇音(唇音)」で始まる。(唇の閉じかたが軽ければ「は(ファ)」に、しっかり閉じれば「ま」の音になる)
この部分と、中国の
「音韻学」との関連の可能性を
うにうにさまからご指摘いただき、それに基づいて訳しなおしました。
詳しいことは
こちら でお読みいただけます。たいへんおもしろいのでぜひご覧ください。ポップアップします。
開口さわやかに あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろを=(という発音のをふまえて)口の開け閉めもきびきびと あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろお
役者さんがこのように正確な発声訓練を受けていたことがわかります。
また、江戸時代は50音を「いろは」でしか認識していなかったような気がしがちですが、実際には現代とまったく同じ発音表が完成していたこともわかります。かなり進んでます。
一つへぎへぎに へぎほしはじかみこれもテキストによっては「ひとつへぎへぎ 二へぎほし・・・」と書いてあるのですが、
「ひとつ」の対に「二」は来なかろうと。まあカタカナの「ニ」と漢数字の「二」なんて区別つきゃしませんから、正解がどっちかなんて原文見ても分かりませんが。
では「へぎへぎ」は何か、というと「へぎ」だと自分は思います。薄くそいだ板で作った四角いお皿です、・・・あー、「三方」の上の部分、あれ。
「へぎ干し」薄く削ったお餅を干したもの、欠き餅。
=ひとつの「へぎ」に「へぎ干し」と「はじかみ生姜」と
盆まめ 盆米 盆ごぼうこれも多分上の「へぎ」に一緒に乗ってるかと。「盆豆」と「盆米」は「お盆のお供えの豆や米」だと思います。お盆にゴボウを供えたかは謎、語呂だけの可能性が強いかと思います。
=さらにお盆のお供えの米や豆やゴボウ(を乗せる)。
摘蓼 摘豆 摘山椒 =摘んだばかりの、または摘んだまま調理していないタデ、豆、山椒、
これも「へぎ」に乗ってるのかなあ。
書写山の 写僧正とりあえず
書写山円教寺のサイトへのリンクです(笑)。
http://www.shosha.or.jp/index.htm姫路にある古刹、チナミに弁慶がお稚児さん時代にいたお寺です。「御所桜堀川夜討」三段目「弁慶上使」で弁慶が身につけている子供時代に来ていた真っ赤な振り袖には、金糸銀糸で筆や硯の縫い取りがしてあります。「書写山」ですから。
この文句は「サンショウ」の音から繋がってるだけでしょうから、訳はナシ。
これもテキストによっては「社僧正」になってますが「社僧」は神社にいるお坊さん、本地垂迹、神仏習合のなせるワザ。「僧正」は僧正さまですが、このふたつがくっついて「社僧正」になると、そんな単語ないと思います。書写山は天台宗、密教な世界、お経をひたすら写すお坊さんはアリかと。
粉米の 生噛み 粉米の 生噛み こん粉米の こ生噛み
昔は脱穀作業をするのにお米をつきました。作業過程で砕けてしまったお米が「粉米、または小米」。「小米で一升(多分安い)」みたいな商いがあったようなので、小米だけを炊いてごはんにしたり、ぜったいおいしくなかったり、しかも噛みごたえがないので「生噛み」になっちゃう、そんな意味かと。江戸中期すぎて豊かになっても「小米」が取り引きされたかは不明です。
ていうか精米技術が進んで「小米」はあまり出なくなったかもしれません。糠の付着や胚芽の取りのこしの少ないお米は、味はいいと思いますがビタミンB1が少なく。栄養バランスは崩れます。
「お米を食べていれば栄養的に問題は起きない」という経験則が崩れ、「かっけ」が流行した原因は精米技術の進歩にあるかと思います(余談)。
繻子 緋繻子 繻子 繻珍「しゅす」は絹織物、つやつやしてキレイなあれ、「ひじゅす」は紅染めの「しゅす」着物の裏とかに使うと「紅葉(もみ)」と呼ばれました。
「しゅちん」は色とりどりに模様を織り出した「しゅす」。
親も嘉兵衛 子も嘉兵衛 親嘉兵衛子嘉兵衛 子嘉兵衛親嘉兵衛 ふつう子が「嘉兵衛」を名乗った時点で親は隠居するかして改名すると思います。メイワク。
ふる栗の木の 古切口=古い栗の木を切った跡の古い切り口
雨合羽か 番合羽か今「江戸時代の合羽」というと、三度笠」かぶった博徒が着てる、マントみたいのをさしますが、江戸時代に「合羽」というと、今の「和装コート」が一番形状も機能も近いです。
「番合羽」という単語がわかりません。もしかしたら「半合羽」かもしれません。
「合羽」は、まずマント風の「ひきまわし合羽」が作られ→「長合羽」→手軽に使える「半合羽」と開発され、2代目団十郎のころは「長合羽」から「半合羽」への移行期だったと思うので。
ただ、「番傘」と同じ「番小屋」で売ってるような安っちい「合羽」というのがあったのかも、うう。
もしかしたらですが、本来のせりふは「長合羽か半合羽か」ではないでしょうか。
「なががっぱか はんがっぱか」のほうが言いにくいです。↑で申し上げたように、時代の流れにも沿っています。
貴様の脚絆も 皮脚絆 我らが脚絆も 皮脚絆脚絆、布製が主でしたが皮のもありました。ていうか「皮羽織」とか、けっこう皮製品衣料多いです、江戸時代。
しっかは袴の しっぽころびを 三針針中に ちょと縫うて 暫定、「尻皮袴」。
=尻のところが皮でできている袴たぶん乗馬用、そのほころびを、3針針の中程くらいまでの幅の縫い目でちょっと縫って、
縫うてちょとぶんだせ=縫って(その袴をはいて)ちょっとオモテに飛び出せ
河原撫子 野石竹上の文との連関はないですね(笑)。「河原」も「野」も修飾語のようです。「かわらなでしこ」という種類があったわけじゃなく。
「やまほととぎす」と同じような言い方?
=なでしこ、せきちく(訳ですかこれ)
のら如来 のら如来 三のら如来に 六のら如来「野良猫」みたいに「野良如来」がいたら楽しいと思いましたが、やっぱりいません、ちぇ。
音だけかと。だから訳はなし。
一寸先の お小仏に おけつまずきやるな=ちょっと(道の)先にある小さい仏様(道ばたに安置されてる仏像ですね)お蹴つまづきになるな。
細溝に どじょ にょろり=細いどぶにドジョウがにょろり(一応訳した)
京の 生鱈 奈良 生まな鰹 ちょと四、五貫目
マナガツオはカツオではなく、イボダイの仲間のおさかなです。スズキ目。おいしいらしいです。
カツオは足が速い魚なので内陸部の京都や奈良では生食できなかったようです。
なのでこの魚をカツオの代わりにナマス(刺身)にして食べたので、「こっちが本当のカツオ」というような意味で「マナガツオ」と呼ばれたという説と、
関東のほうではカツオは高級魚でしたが、それに対抗して関西で「こっちのほうがカツオより美味しい」という意味で「マナガツオ」と呼んだという説とがあるようです。
ここでは「生マナガツオ」と言っているので「生食可」を重視して「奈良でカツオの代わりに食べたから」説を取りたいと思います。
参考リンク:http://kensui.on.arena.ne.jp/syun/H16/managatuo.htm
=京の生鱈(西京漬けにするのかな) 奈良の生のマナガツオ、(それらを)ちょっと4,5貫目(17.8sbくらい、そんなにどうすんだ生魚を)
お茶立ちょ 茶立ちょ ちゃっと立ちょ 茶立ちよ=お茶をたてろ 茶をたてろ、ちゃっと(すばやく)たてろ 茶をたてろ
青竹茶筅で お茶ちゃっと立ちや=青竹の茶筅でちゃっちゃっと(すばやく)たてろ。
来るわ来るわ 何が来る 高野の山の おこけら小僧=来るぞ来るぞ、何が来る、高野山金剛峰寺(リンクなし)の木っ端小僧(と訳しておく)
俗に「高野六十那智八十」というそうで、高野山金剛峰寺と那智山青岸渡寺(熊野霊山にあるお寺)とは寺稚児が多く、男色が盛んで、それぞれ60歳、80歳もの寺稚児がいる、という冗談ですが、この「おこけら小僧」にもそのへんの隠語が含まれているかが、まだわかりません。
狸百匹 箸百膳 天目百杯 棒八百本 =たぬき百匹・・・以下まんま。
「天目」は茶器の天目茶碗のことではなく、ただ「お茶碗」のことでしょう。入ってるのがごはんか酒かは不明。
武具 馬具 武具 馬具 三武具馬具言いにくいです。訳はそのまま
合わせて 武具 馬具 六武具馬具訳なし
菊 栗 菊 栗 三菊栗 合わせて 菊 栗 六菊栗まんま
麦 ごみ 麦 ごみ 三麦ごみ 合わせて 麦 ごみ 六麦ごみ自分はこれが一番言いにくいです。あと「お茶だちょ・・」も苦手。
あの 長押しの 長薙刀は 誰が長薙刀ぞ =あのなげし(説明いらないですよね?不安・・・)に乗っている長長刀は、誰の長長刀だろうか。
向こうの 胡麻殻は えの胡麻殻か 真胡麻殻か=むこうにあるゴマを絞ったかすは、荏胡麻のごまがらか、普通のゴマのゴマガラか
シソの実油と並んで大ブレイク中、「荏胡麻油」。α-リノレン酸が豊富だそうで、やせるかは知りませんがアレルギー持ちの方は、そもそも油は控えたほうがいいそうですが、α-リノレン酸系の油だけは症状が重くならないそうです(治るわけではありません)。
あれこそほんの 真胡麻殻あれこそ本当の真ゴマのごまがらだ
がらぴいがらぴい 風車 訳ナシ、「ごまがら」から音でつなげただけだとおもいます。
おきやがれ こぼし おきやがれ小法師 =「おきあがりこぼし」ですよね、後ろのは「起きろ小法師」または「ふざけるのはやめやがれ(江戸方言)小法師」。
ゆんべもこぼして 又こぼした=夕べも寝小便をして、また寝小便をした、だと思います。
だとすると上はやっぱり「起きろ」でしょうか。
たあぷぽぽ たあぷぽぽ ちりから ちりから つったっぽ 意味不明だったのですが、ども鼓の音のようです。↓の「たっぽたっぽ」もです。
「一丁」と「鼓」の関係は、あるかどうか不明です。
たっぽたっぽ 一丁だこ
「たっぽたっぽ」はともかく。「いっちょうだこ」は「タコが一丁」と「一町(は言い過ぎだけど、大きい)凧」をかけてるかと。
おちたら煮て食お 煮ても焼いても 食はれぬものは=(凧が)落ちたら(タコを)煮て食おう、も焼いても食うことができないものは
五徳 鉄きゅう かな熊童子に
五徳、今もガスコンロに付いてる鍋を乗せる台、昔は火鉢に使いました。
鉄きゅう、鉄灸、鉄弓とか書くようです。お魚を焼く網です。
かな熊童子 、、大江山に棲んでいた鬼「酒呑童子」の家来で「四天王」と言われた「金熊童子」「石熊童子」「ほし熊童子」「虎熊童子」、のなかのひとりです(ヒトですか?)。食えませんねいろんな意味で。ここまで「金属つながり」。
石熊 石持 虎熊 虎きす 「石つながり」に「虎つながり」で、食えなさそうなかんじで並べています。
「石熊」と「虎熊」は「金熊童子」と同じ酒呑童子の手下たち、「石持」は屋根に乗せた重しの石の滑り止め用の横木かもしれませんが、おさかなの「イシモチ」かもしれません。ていうか後ろの「虎きす」がおさかなの「キス」の一種のようなので「イシモチ」も魚でしょう、食えさそうな名前ですが、当然食えます。
中にも 東寺の羅生門には =その中にも、京の東寺にある羅生門には
いや羅生門は平安京の都そのものの門で、東寺のそばにはあったけど東寺の門じゃないし(つっこみ)。
茨木童子が 腕栗五合 つかむでおむしゃる↑の「中にも」は、酒呑童子の家来たちの中でも、ということです。
「茨木童子」、酒呑童子の一の子分。当時有名だったモノノフ、渡辺綱に切り落とされた自分の腕を後で取り返して(能や歌舞伎の「茨木」で有名)、それを持って羅生門に巣くっているのです。
「腕栗五合」、「腕」と「ゆで」とをひっかかているようです。しかし、なぜ「五合」?「金剛」とのシャレでしょうか?「おむしゃる」は「お蒸しやる」のようです。
さて、「童子」はこの場合鬼などの異形のモノを言います。なぜ「童子」が「鬼」を指すかといいますと、中世において男性の髪型は、幼児期→ザンバラ、大人→頭の上で縛って冠か烏帽子、の二種類しかないのです。
鬼は普通の人間のように行儀よく髪を縛って烏帽子なんかかぶりませんから、あの図体でも「童」スタイル。「子供」だと言っているのではなく、人間社会の常識が通じない相手=人外のもの、ということです。
昔「笛吹童子」という映画がありましたが、あれもただ「少年」を意味するだけでなく、主人公の少年のどこか人知を越えた雰囲気を表現していると思います。
かの頼光の 膝元去らず
「頼光」は平安時代の武将「源頼光」です。家来の「四天王」を従えて↑の大江山の酒呑童子を退治したので有名です。ここまでずっと「酒呑童子」ネタをひきずってます。
で、誰が「膝元を去らない」のか、茨城童子がか、と謎だったのですが、以下↓、が、彼の家来であり、「酒呑童子」を退治した伝説的勇者たちである「頼光四天王」たちの名前とのシャレのようです。
鮒 きんかん 椎茸 定めて後段な
まず頼光四天王の名前、渡辺綱(わたなべの つな)、坂田金時(さかた きんとき)、占部季武(うらべ すえたけ)、碓井貞光(うすい さだみつ)。
=
鮒(綱)、きんかん(金時)、しいたけ(季武)、 定めて(貞光)(おそらく想像するに)、後段(膳を全て出し終わった後のデザート)用な(下に出てくるそばやそうめんが等の軽食類が当時の「後段」でした)、
「後段な」を「剛胆な」に引っかけているかもしれません。
そば切り さうめん うどんか 愚鈍な 小新発知=そば切り(練って、切ったそば。今のそばです)そうめん、うどんか(音だけつなげて)愚鈍な、なりたて小坊主
新発知、しんぼち、正しくは新発意と書くようです。発心して仏門に入ったばかりのヒト。
「そば切り そうめん」のへんも何かシャレでつながっていそうですが、わかんない。
小棚の こ下の 小桶に こ味噌が こ有るぞまあ、テンポよくするので「こ」を付けてるだけで、訳はいいですよね。
ここから↓
小杓子 こ持って こすくって こよこせ 味噌をよこせと(笑)。
おっと合点だ 心得たんぼの=おっとがってんだ、心得た、そのたんぼのある(かけことば、ていうかだじゃれ)
川崎 神奈川 程ヶ谷 戸塚は 走って行けば↑ここまで、ひと息に言うんだそうです。長い。
あと、「心得たんぼの 川崎・・・」ですが、
「てんぽの皮」という言い回しとのシャレだと思います。「てんぽ」は「転蓬」と書き、根から離れて、そのへんをころころ転がる枯れ草です。そのように運任せ出任せのイキオイだけの態度を言います。「皮」は調子付けで意味はありません。
「おっと合点だ心得た、出たとこ勝負でイキオイでやっつけよう、川崎・神奈川・・・」というかんじかと。
やいとを摺りむく 三里ばかりか やいと、ひざの下のちょっと外側のくぼみ、足の疲れをとって丈夫にするためにお灸をすえる、「三里」ともいう。
「「やいと」をすりむく「三里ばかりの距離」」というような意味と、同じ意味の単語で文章作ったしゃれとの二重の内容の文章です。
藤沢 平塚 大磯がしや 小磯の宿を 「大忙し」と「大磯」をかけております。
ていうか「小磯」宿場なかったみたいです。え?
七ッ起きして 早天早々 相州小田原 とうちんかう「明け六ツ」が午前六時です。「七ツ」はその二時間前。江戸小田原間二十里=80qですから、朝4時起きしてがんばって歩けばその日のウチに江戸に着きます。透頂香を持って早起きして相州小田原から江戸まで来たのです。
もちろん「そうてんそうそう」「そうしゅう」と音を意識して並べています。これは「早口言葉風」というだけでなく、江戸という時代に書かれたものはたいがい、こういう風に「似た音を並べる」「ひとつの単語で複数の意味を持たせる」といった言葉遊び」がはいっているのです。
縁語、掛詞の伝統と「地口。しゃれ」という庶民の遊びが融合した結果です。
=朝4時起きして早朝早々から走ってきました、相模の国は小田原の透頂香(を持って)。
隠れござらぬ 貴賤群衆の 花のお江戸の 花ういらう=何一つ隠すところもございません(すばらしい商品です)、身分の高いひとも低いひともたくさん集まっている、華やかな花のお江戸の盛りの花のように全盛の花ういろう、
あれ あの花を見て お心を おやはらぎやという
『仮名手本忠臣蔵』七段目、「祇園一力茶屋の場」で、敵討ちをする気がないフリをして遊び呆ける大星由良之助(大石蔵之助ですね)の腰刀が赤く錆びているのを見て、
様子を探りに来た高伊直(吉良上野之介ですね)の家来たちがバカにしてシャレを言います。
「この刀、銘は「赤子丸」はいかがでござる」
「して、そのココロは」
「研ぎゃあい、研ぎゃあい」。(一部てきとうに略)
・・・下らねえ。 まあとにかく、この時代、「ぎゃあ」が語尾に付けば「赤子の泣き声」にひっかけていいことになっていたようです。ということで↓に続きます。
=(花のお江戸の、その花ではありませんが)あれ、あそこにある花を見て、そのお心をなごやかになさいませなという、
産子這子に 至るまで この外郎の 御評判
=
(そのように「お(やわら)ぎゃあ」と泣く)新生児や乳幼児にいたるまでが、この外郎の世間でご評判いただいている様を(ただ「評判を」でもいいんですが、「御」が気になるのでこんな感じ)、
御存じないとは 申され まいまいつぶり=ご存じないとは申されまい、まいまいつぶり(まあ音だけで繋げてるのでこんな訳で(汗))
角出せ 棒出せ ばうばう眉に=(かたつむりなので)角出せ、棒出せ、ぼうぼう眉に、
ぼうぼう眉って、「ぼう」の音以外に意味あるんでしょうか、二代目団十郎はぼうぼう眉だった可能性は高いです。
臼 杵 すりばち ばちばち ぐわらぐわらぐわらとすでに何がいいたいのかわかりません、臼も杵もすり鉢も、使うとうるさいです、ゴリゴリガンガンガリガリ、にぎやかさを演出したんでしょうか、
羽目をはずして 今日おいでの いずれも様に=(そんなにぎやかな感じで)はめをはずして、(路上パフォーマンス販売ですからにぎやかな場所でやります、居合せたひとびともハメをはずして遊びに来てるのです)今日ここにおいでのいずれもみなさまに、
上げねばならぬ 売らねばならぬと=(この薬を)さしあげなければならない、ていうかつまり売らなければならない、という気持ちで、
息せい引っぱり古語辞典というものは、出てるだろうと信じてた単語は出てなくて、「わきゃねえだろ」な単語をダメもとで引いてみると出てることが多いので、油断はできません、
=力をこめ、うんと気を張って、
東方世界の 薬の元じめ 薬師如来も 照覧あれと
つい、アジア仏教文化圏における、という意味だと思いたくなりますが、違います。江戸時代だから。
「西方世界」は極楽浄土を指しますが「東方世界」は「東方浄瑠璃光世界」を指します。この世の東にあり、薬師如来が仕切っているらしいですが、西方浄土と違って人間は死んでも行けないようです。薬壺を手に持っています。
「薬の元締め」、薬師如来が漢方薬作ったわけではないですが、病苦を救う仏様として信仰をあつめました。それを薬商人の商品卸&ピンハネシステムの総元締めで、誰も逆らえない、一番いい思いしてる存在、と冗談で言ってみたのだと思います。
=
東方浄瑠璃光世界の主にして、衆生の病苦を救う薬師如来、薬を効かせ、病苦を除くのは薬師如来のおかげである、その、薬の効力の源である薬師如来も(この「透頂香」のすばらしさを)はっきりとご覧あれと、
ホホ 敬って 外郎は いらっしゃりませぬか
「ほほう」と発音。歌舞伎に頻出するかけ声みたいなもん、重々しさを添えます。「ほほほ」と笑ってるのではありません、
言い方は、後ろの「ほ」にアクセントを置き、はじめの「ほ」はできるだけ低いキーで、
「ほ ほぉおおぅ」というかんじに重々しく言います。
=薬師如来も、お立ち会いの皆様も敬って、申し上げます。ういろうは、お入り用ではございませんか。