『一本刀土俵入』
=6:『「ヨゴレ役」の美学』の巻=
『一本刀土俵入』(いっぽんがたなどひょういり)っていうのは
ちょっと前まで誰でも知っているおハナシだったらしいですが、
今はどうかな…。
取的(とりてき)つまり前相撲の、まだ給金もらえないお相撲さん。
しかも見込みがないので巡業先でクビになっちゃったという
なかなかナサケない設定の主人公です。
名前は、駒形 茂兵衛(こまがた もへえ)。
名前もイモっぽいでしょ。
歌舞伎の主人公は、当然あか抜けたいい男が多いですが、こういうイモ男も何人かいます。
この茂兵衛はその中でもナサケナイ設定といい、アタマ悪そうなキャラクターといい、
ピカいちのイモ兄ちゃんなんです、ナイス。
汚れたツルツルテンの浴衣と腰のてぬぐいが“ヨゴレ役”のキホンを押さえてますよね。
そもそも、“相撲取り”っていう設定がイモっぽいですよね。
“気はやさしくて力持ち”ってやつ。イモ男の鑑です。
画面からははみ出てますが、茂兵衛が持ってるヒモの先では
宿場酌婦のお蔦さんが一文無しの茂兵衛くんに、
あり金全部と櫛、かんざしまで結びつけてあげちゃってます。
こういう思わずメンドウみたくなっちゃうかわいさというか、ナサケなさというか、
そういうカッコ悪いトコロが“ヨゴレ役”の真骨頂だなあと思います。
こういう役って、当然ですけど、カラダががっちりしていないとサマになりません。
おすもうさんだから、という以前に「イモ兄ちゃん」=ニッポンの伝統的なお百姓さんのイメージ=たくましい、というかんじです。
顔も、いい男じゃなくて、でも貧相じゃなくて、
どこか愛敬のある顔立ちの役者さんがいいと思います(最近そういうひと減りましたね)。
たとえばこの中村勘三郎さんなんか、こうやって見るとまんまイモ兄ちゃんですが、
お公家さんも武将もお殿様も、じつはとてもよく似合って上手です。
そういう、役者としてという以前の、もっと基本的な人間としての幅の大きさがないと
魅力的な“ヨゴレ役”はできないんじゃないかと思います。
このテのイモ男って、よくみると実はいいカラダで男くさくてセクシーで、しかも性格がいいんです。なのに、
自分じゃその魅力を全然わかってない、
つまり全然ナルシストじゃないっていうのがいいんだと思います。
「男のフェロモン」が、普段は出しかたがわからないから全然出てなくて、
こ汚い服の下に自信なさそうにたゆたっていて、いざ「やるぞ」って段になったら、
もう、一生懸命、ドバドバ出まくる出まくる…(←誤解を生む表現です)。
自分の魅力を、普段は表に出さないで、自慢もしない。
そういうのって、つまりは日本古来の美意識の根底にある、あの、
“奥ゆかしさ”というものに通じると思います。
さて茂平くん、結局おすもうさんにはなれなくて、流れものの侠客になってしまいます。
いくら「前相撲」の取的の社会的地位が低くても、とにかくまっとうな人生、
ヤクザになったら転落だと思うんですが、このお芝居、昭和に入ってから書かれたいわゆる「新作もの」なのです。
江戸時代風の侠客姿を、あまり深く考えずに「かっこいいじゃん」とよろこんでしまっていいようです。
歌舞伎といっても明治以降の「新作もの」については現代の「時代劇」に通じるトンチンカンさを感じることがあります。
でもまあヤクザになったそのおかげで、茂平君、十年後、土地のやくざとトラブルをおこして困っているお蔦さんを
たすけることができるんですが、やはり「面目ない」とお蔦さんにあやまります。
そういう
ちょっともの悲しくてイマイチ「かっこよくない」ラストです。
このへんも「新作もの」らしい味わいかもしれません。
まあいつの時代もやっぱりこの国では、イモ兄ちゃんがけっこううけるってコトかもしれませんね。
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