『仮名手本忠臣蔵』五・六団目
=12:『いい男だからイジメ甲斐がある?』 の巻=
絵の説明・・・蓑を着た猟師と、イノシシと、死体…。
いちおう、今月12月なので、忠臣蔵ネタです。
この絵を見て「忠臣蔵じゃないじゃん」、と思うのはマトモな感性だと思います。
歌舞伎の(つまり文楽の)『仮名手本忠臣蔵』って十一段あるんですが、
始めの四段と、最後の十一段目以外、ずーっと、
本筋とはあまり関係ないヒトたちが、本筋とは関係ないコトを、イロイロやってるおハナシなのです。
これは、お話が作られたのはまだまだ江戸初期、文化はまだ上方中心で、
『忠臣蔵』も上方の人形浄瑠璃の台本だったワケで、だから
“お江戸での討ち入り”の場面よりも
“祇園とかのみんな知ってる場所でのエピソード”のほうが客にうけた、
というコトと関係あると思います(えらそー)。
“忠臣蔵ネタならとりあえずウケる”という、現代に通じる大前提あってこそのハナシですけどね。
この絵は「五段目」の早野勘平(はやの かんぺい)と、死んでるのが斧 定九郎(おの さだくろう)。
「五、六段目」の人気のヒミツは、多分、この二人が
お話全体の主人公、「大星由良之助(大石内蔵助ですね)」よりもいい男だから、でしょう。
勘平の奥さんのお軽は討ち入り資金調達のために祇園に身売りをして、その金を持った父親は殺されて、殺した男も死んで、
いろいろあってトド勘平は切腹、ひとり残った母親が泣きさけぶ、という
とてもひどいストーリーの中で、唯一、お気楽なのが、こいつ。
イノシシ。
下で死んでる斧 定九郎が間違って撃ち殺されたのをいいコトに、
ヘラヘラ生き残ります。
“五段目で、運のイイのはイノシシばかり”っていう川柳は有名。
斧定九郎、平気で通りすがりの(しかもていねいに出すと知り合いの)老人を殺して金を奪う極悪人の役です。
昔はもっと汚ないあか抜けない衣装で、いかにも悪人らしい演技だったそうですが、
文楽だと今もそうかなあ。
今のこのキレイな衣装と白塗りのメイクに変わってからは、
とてもオイシイ役として、いい役者さんがやります。
ちょっと出て、セリフ「五十両。」だけ。で、すぐ死んで…それだけ。
でも、かっこいい。
いわゆる悪漢小説(ピカレスク)の主人公のドラマをしょってて、
それを一瞬のウチに見せて死んじゃう、という、いいトコ取りの役といえましょう。
このおハナシ、すごい田舎の山の中の村の汚ない家での、人間関係ドロドロの、
かなり凄惨な内容です。しかもほぼ全員ムダ死に。
こういう不幸場面で、出てくる人々、
ここでは定九郎とか主人公の勘平とかがビジュアル的にかっこいいということは、
すごく大事だと思います。
舞台の様子がとても汚くて、本人たちもみっともない生きかたをしていて、なさけない失敗や勘違いをして、それでも、
いい男だからこそ許せるというか、見苦しくないというか。
設定がナサケなければナサケないほど、キャラクターのキレイさと悲劇性は引き立ちますしね。
そしてこれってどこかサディスティックな快感だなと思ったりしてドキドキ。
でも、たとえば、逆ギレして吉良上野介に斬りかかる浅野内匠守だって、
もし不細工な役柄だったらただのバカ殿、誰も見ていて同情しないと思うし、
やっぱり顔って大事かも・・・。
「丸本もの」(文楽からの移入作品)には必ずこういう「世話場」と呼ばれる貧乏所帯の場面があって、
登場人物達が不幸バナシをしたり腹を切ったりします。
つまり「丸本もの」というくくりで見ると勘平のこの「腹切り」は、かなり「お約束通り」のありがちな展開なのです。
「忠臣蔵」を見る上で今日びその点が忘れられているということは、興味深くもあり、ココロモトなくもあります。
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