=『天衣粉上野初花』=
=15:『雪の夜には蕎麦屋で一杯』の巻=
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『雪日暮入谷畔道』(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち)ってお芝居です。
通称『蕎麦屋』
この、主人公の片岡直次郎(かたおかなおじろう)、 別名直侍(なおざむらい)、がそばを食うシーンが有名なので そう呼ばれます。
モトモトは、『天衣粉上野初花』(くもにまごううえののはつはな) っていうお芝居の後半部分です。

これは『天保六佳選』っていう今でいう講談がモトネタです。 そうそう、主人公の名前そのまま取って
『直侍』なおざむらい とも呼ばれます。
もう、タイトルたくさんあるおハナシさ。それだけ存在感が大きかったということだと思います。
正式タイトルである『天衣粉上野初花』、これを全編通しで出すと、
この直侍と、実は裏で悪党やってる茶坊主の河内山宗俊(こうちやま そうしゅん、 べつに大阪のヒトではないです、
と、 あと金子市之丞(かねこいちのじょう)、このヒトは町道場を持ってるマトモなお侍、
この3人がケンカしたり、つるんで悪さをしたり、それがバレたり、 いろいろ面白いコトが起きる長いおハナシ。
主役級のそれぞれタイプの違う人気役者が三人そろわないと 上演不可能な作品です。
というか明治初期、とても人気のあった三人の役者さんのために書き下ろされたんだから 当然だね。
片岡直次郎こと直侍は、御家人の坊ちゃんで、それがグレて悪さをして おたずねモノになって、今や捕まる寸前です。
とっても寒い雪の夜に、入谷(江戸のハズレ)の汚ねえ蕎麦屋で 高トビしようとしてる直侍が蕎麦食ってるこのシーンが、
風情があって有名なワケ。
このキャラクターのムズカシイところは、なんていうか、
「キレイなだけじゃダメ」ってとこじゃないかと思います。 よくいるナルシスティックなハメツ型の若い極道、じゃつまんないんですよね。
なぜって、モトがおサムライだから。
つまり、「キレイだったモノが落ちぶれて汚れた」っていう 一種汚れ役的な独特の色気がないと 「侍だった」って過去に説得力がないわけです。
でも、あんまり汚れちゃって男の哀愁〜とかタダヨっちゃうと、粋じゃないじゃん?
そのビミョーなバランスが、直侍の奥の深いかっこよさを かもし出してるんだと思います。
「江戸っ子は蕎麦を上手に食えないと粋じゃねえ」ってのは、 よく知られたコトですが、
このお芝居でも、まずワキ役のヒトたちが出て、わざとモソモソ下手に食べてみせて、そのアト直侍がかっこよくつるつるそばを食う、というまことに芸の細かい演出があります。
さて、直侍、このあと恋人の花魁(おいらん)の三千歳(みちとせ)に会いにいって 現行上演そこに捕り方が踏み込んできて幕、ですが、最近ここに、恋敵の金子市之丞が出ない。つまらん。
「金子市」は三千歳の事実上のパトロンなので(直侍はただの間男)、
このひとが出る事で人間関係が複雑かつリアルになって、 大人のドラマってかんじになるのに。
ただの“運命に引き裂かれる美男美女の悲劇〜”みたいな話だったら ほかにもたくさんあるし、むしろ『直侍』はその中では安っぽい部類。

理想は『天衣粉上野初花』として通しで演って、 金子市や河内山との関係もわかりやすくして、 ってことになりますが、
さあ、誰がどの役をやるのか。適役は3人そろうのか。
思えば贅沢なお芝居です・・・。

チナミに「茶坊主」は、本物のお坊さんではなく、 お大名や将軍家に出入りしてお茶の作法の手ほどきをしたり茶事イベントを仕切ったりした人たち。「茶の道に精進しておりますので色や欲はは断っており、男として無害でございます」ということで僧形なのです。
この河内山は将軍家に出入りしているので、茶人としてのステイタスはかなり高いです。このへんの「茶人である」という設定がどうも今日びのお客さんに伝わってない感じ。