=『仮名手本忠臣蔵』=
=25:『お江戸の街にいたその男』の巻=
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大江戸風俗通信・カット
正確には歌舞伎のハナシじゃないです。
というか歌舞伎の舞台のおはなしではないです。
前も描いたのですが、「仮名手本忠臣蔵」に出てくるの悪役、
斧定九郎(おの さだくろう)って男の話なのです。
とてもいい男だと去年もこの時期「忠臣蔵」やって書きました。
さてこの役、始めはいかにも悪人っぽい汚ない山賊風の衣装だったのが、 あとで白塗りの色男に変わって、その演出が大ウケしたっていう役なのは有名です。 やっぱりみんな、汚い悪人よりキレイなお兄ちゃんを見る方が楽しいんですよね。
そのときの有名なエピソードとして語られるのが、
そのときの定九郎役だったのは、初代中村仲蔵
この役者さん、深川にある神社、妙見様にしょっちゅうお参りしていました(妙見様今も深川にあります、芸能の神様なので役者さんで参拝するかたは多かったのです)。
その日もお参りの帰り、にわか雨が降り出したのでとある蕎麦屋で雨宿りをしました。 この時代、いわゆる「喫茶店」というのはなく、「喫茶店」的な役割を果たしてたのは、「蕎麦屋」なのです。「蕎麦」は「食事」というより、「小腹がへったからちょっと腹だまし」感覚だったようです。今より一杯の量も少なかったみたいです。
で、仲蔵、お蕎麦屋さんで雨宿りをしていたときに男を見たのです。
色の褪せた黒の紋付の着ながし、朱鞘の2本差し、月代(さかやき)ののびた浪人もの。
雨にぬれた着物のスソをしぼっていたその姿までが絵になってたので 舞台に取り入れたらウケました。妙見様の御利益だ。すげえ。
…と、ここまでは、わりと有名なエピソード、 ウンチクぶっていうレベルのハナシじゃあないのですが、
今回問題にしたいのは定九郎ではなく、この、モデルになった男のほうです。
実在したわけですよね。かなりいい男だったハズ、っていうこの意見は、 俺が考えたんじゃないんですけどね。
おっしゃったのは写真家の波賀九郎先生。やっぱりさすがです。するどいです。
お元気で長生きして、いろいろまだまだ仕事のことも歌舞伎のことも教えていただきたいです。
さて、黒の紋付の着物は正装用だから おさむらい、ふだん着には着て歩かないですよね。
だからこのヒトは、これしか着る物を持ってないミジメな食い詰め浪人です。 無精髭ものびてたはず、記録によると30くらい、そんなに、今舞台でやるようには若くもないし美男子でもなかったらしいんですが、
やさぐれた、裏街道を歩いてるっぽい、妙に迫力や色気のある男。
濡れたスソをしぼってたら、むき出しの足はきっと泥だらけで、 褌も見えて、たぶん褌もそんなにキレイじゃなかったろうけどそれもびっしょりぬれてて、
それがこれまた決してキレイとは言えない中味にはりついて…。
そういうイメージ。
ずいぶんナマナマしいですが、実際目にしたのはそれくらい、 イヤもおうもないほどの生活感に満ち満ちた、 「生きている」浪人だったはず。
歌舞伎が洗い上げた定九郎の色気やかっこよさとはまた別の、 現実の男のなまなましい魅力ですね。
歌舞伎の舞台というのは頭の中だけで考えられた華やかなファンタジーではなくて、
まず、こんなのがゴロゴロしてると現実の江戸の世界というものがあって、
それをモデルにして洗い上げた結果としての美しさだということ、
その華やかで洗練された演出をささえたのは、とうぜんだけど、
そのモデルでもあり、シビアな批評者でもあった 現実の江戸の街だったというコトを 実感してしまうエピソードでございます。
…ごめん、今回、この浪人ものの絵を描きたかっただけ…。



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