=『青砥稿花紅彩絵』=
=32:『さあ、モノホンはどれだ』の巻 =
イラストは
歌舞伎というのが、いいかげん倒錯した世界 であることは、
いまさら言うまでもございませんが、
この弁天小僧 なんか、そのひとつの境地でしょう。
正しいタイトル『青砥稿花紅彩絵』 (あおとぞうし はなのにしきえ)
…読めねえよ。まあいいや。
『白波五人男』 とか、『弁天娘女男白波』 (べんてんむすめ めおのしらなみ)とかの
タイトルでも有名です。
この主人公「弁天小僧菊之助 」が、
初め女装 して着物屋さんに行って(これがかわいいのよ)、
あれこれいいがかりをつけてるうちに男だってバレて、
しゃあねえや、で、居なおって、男に戻ってタンカきってるのが、この絵。
浮世絵をモデルにしたといわれるだけあって(諸説あり)、カタチがきれい。
タンカの台詞も、河竹黙阿弥 の名ゼリフ。とても有名な、かっこいい場面です。
今までワタクシが描かなかったのがフシギなくらい(笑)。
これは、代々(五代目から)の尾上菊五郎、菊之助 の持ち役となっており、襲名披露のときは、かならず出すと言ってまちがいありません。
菊五郎は立ち役、女形(おんながたと読む)兼ねる役者なので、
お嬢様からナラズモノに変身する、この役どころに違和感がないのです、というかお客さんおお喜び。
女形専門の役者さんが演るコトもありますが、
逆に女の子が男装してるみたい で、ちょっと、違和感があります。やはり菊五郎の役だなあと思います。
というか、そう、「菊五郎」 って役者が、そのあいまいなジェンダーを武器に
この世界を生き抜いてきたということを、むしろこの役は示していると思います。
とくに、初演時の市村羽左衛門( のちの五代目菊五郎)の若いころは本当にキレイだったようで。はあ、あいまい。初演は江戸時代の末期、いろいろアリな時期だしねえ。
さて、ところで、この「弁天小僧」 って役、
こんなスケベったらしい格好を見せてくれるわりに、じつは
性的倒錯のニオイは殆どしないのです。
「色若衆」 として男色(なんしょくと読む)のアヤシイ魅力を発散させるのは、どちらかというと、
「五人男」の中だと赤星十三郎 のほう。侍あがりだし。
でも、現行上演だと赤星十三郎、殆ど出番ないです。
弁天小僧は、つまり「女装したただのそこらのおにいちゃん」 で、
「キレイに見える自分に酔ってる」ってかんじ?
それは、やっぱり、「女が好きなフツウの男」の感性なんですよね。
そのへん、「女装」と「おかま」は違うというコトを昔の日本文化はちゃんとわきまえてたんです。
今よりずっと進んでますってば。
でも、やっぱりお客さんは、「女が好き」なはずの弁天小僧に、性的倒錯 のニオイを感じてしまうんです。
なぜって、お客さんが見てるのは、「弁天小僧」 であると同時に「菊五郎」 だから。
そして、役者である菊五郎 もまた、実は、「弁天小僧」を演じながら同時に「菊五郎」を演じているのです。。
菊五郎 が「菊五郎」 を演じてるのです 。
「弁天小僧」がはまり役で、 そのあいまいなジェンダーが魅力的な「菊五郎」
というキャラクターが、まずあって、
見てるわれわれは、その「菊五郎」のイメージに重ねながら、今の菊五郎を見ながら、
同時に「弁天小僧」を見ているわけです。
だから、「これでもか」ってくらい扇情的なこのカッコは、
「弁天小僧」の役柄というより、
「役者菊五郎」をわれわれにイメージさせるための 周到な計算なんだと思います。
ある意味、襲名って、そういうコトですよね。
役者さんは、まず、「その名前のイメージ」 を演じて、
それから、「そのイメージにぴったりのある役」を演じる。
その多重構造があるからこそ、あの、きらびやかで非現実的な世界を
われわれは違和感なく楽しめるのかもですね。
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