=『恋女房染分手綱』=
=46:『間の土山雨が降る』の巻 =
『重の井子別れ』 しげのい こわかれ って副題で有名なこのお芝居、
ちょっとした日本文学全集とかに
はいってたりもするみたい。俺子供の頃読んだコトあるもん。
お姫様の乳母をやってる重の井 が、
旅の途中、むずかるお姫様をあやそうと
行列の中で馬子(まご、馬方ね) をやってる子供を呼び寄せます。
そしたら、その子、自然薯の三吉くんは
昔生き別れた自分の子供。
でも、重の井 にはお姫様の乳母としてのセキニンも立場もございます。
カンタンに、そのへんのコ汚いガキんちょを
「息子です」とは言えないの。
泣く泣く、事の次第を言い聞かせて三吉と別れる重の井。
泣いて母をののしりながら、すがりついてなきじゃくる三吉。
働くシングルマザーのプライドと苦しみ でございます。
当然、このお芝居で一番目立つのは子役の三吉くん 。
子供ながら荒くれ男(なんかかっこいい)と同じ仕事をしているしっかりものぶり、こましゃくれた態度、と同時に「自分は本当は武士の子」 というキリリとしたプライドも
なくてはいけません。
幹部俳優の御曹司が小学生のころやるのがふつう。
そしで、重の井が母様だとわかってからは、
子供らしく甘えるところ、怒って泣くところ、と、見せ場は多いです。
俺が好きなのは、「とと様とかか様は俺が馬子をして働いて食べさせるから、
とにかく 3人いっしょに仲良くくらしたい」 ってところ。
優しい子だ。泣いちゃいます。
歌舞伎の子役の演技というのは、他のお芝居と違って「オトナの真似みたいな演技してます」ふうの
リアルくさいせりふまわしをしないんです。
棒読みに近いカタチでゆっくり、大きい声でセリフをいいます。
このほうが結局舞台全体のバランスから見るとわざとらしくないのです。
子役が将来「大人の演技」を身に付けるためにも、
妙なクセをつけてはいけないっていう配慮もあるんでしょうね。
さて、ただでさえ子役には食われがち なのが古今東西お芝居の世界ですが、
このお芝居の主役は三吉じゃなく、もちろん乳母の重の井 。
この三吉に食われずに、安っぽいお涙ちょうだいの弱い母親でなく、毅然とした御殿女中を演じきるのは、なみたいていのコトではないみたいです。
ところでこのお芝居、現行では
『恋女房染分手綱』 こいにょうぼう そめわけたづな
全十三段、の十段目ってことで上演されます。
しかし、セリフその他、ほとんどすべてが,
あの、近松門左衛門 の
『丹波の与作小夜小室節』 たんばのよさく さよのこむろぶし
というお芝居の第一幕から採られており、
まあ、これはよくあるコトだからいいんですけど、でも、
『恋女房』が、現在、この段以外上演しない以上、いいかげん
「近松作品」 であることをはっきりさせて上演してもいいんじゃないかと、
外野はうるさいもんさ。俺はそう思うんだってば。
『丹波の与作』ではじつは重の井は脇役。
主役は「丹後の与作」と呼ばれる重の井の元旦那と、その恋人の小まん、
二.三幕目もおもしろいんですが、
ほら、これ近松作品、つまり人形芝居 でしょ?(近松は歌舞伎も書いてますけどね、これは文楽)
後半三吉の演技が人間の子供には不可能なくらいムズカシくなるのです。
なぐられたり蹴られたり、悪い馬方を一刀のモトに斬り殺したり、
・・・上演不可能?
やっぱり、近松は文楽のモン かなあ・・・・。
・・ちぇ.
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