=『橘屋・十五代目市村羽左衛門』=
=50:『昔のひとの袖の香ぞ』 の巻 =
橘屋、十五世市村羽左衛門っていう役者がいました。
明治から昭和、戦前のヒト、
明治のころは子役だけどね、竹松っていったのだ。
市村 と、もうひとつ中村勘三郎 の名前は古く、どちらも
いちばん最近ので十七世。
こんど襲名すると(するとはかぎらんが、ていうか個人的には反対)
十八世。
市川団十郎が今十二代目ですから、古さがわかります。
これはこのふたりと、もうひとり守田勘弥 、この3人が、
江戸三座とされた官許大劇場
市村座、中村座、守田座 の、それぞれ座元の家柄だからで、
初代はおおよそ江戸初期、元禄以前にさかのぼります。
すまん、本題からずれた。
で、橘屋羽左衛門 。なんでイチイチ屋号の「橘屋」 も書くかというと、
本当に花のような役者さん だったから。
立役です。だから女形(おんながたと読むのよ、しつこいが)のヒトみたいな
なよなよしたキレイさじゃなくて、
香りも、花も、実もあるかんじ。
しかも甘いだけじゃなくてキリリとした男らしさも、江戸前の粋もある、
枝振りも(すらりとしてかっこよかった、江戸生まれにして8頭身)、
葉の色も(年とってもみずみずしくてキレイだった)、すべてを楽しめる、
橘のイメージがぴったりの役者さんだったのです。
だからイチイチ書くのだ「橘屋」 。
相手役の女形、尾上梅幸 は「音羽屋」 というより、
同じ理由で「梅幸」 と名前が似合いました江戸の女性の意気と華を体現し得た最後の役者さん。
梅に橘 、いいなあ。
橘屋 。おおらかで明るい性格だったそうで、かなりチャランポランなイメージの芸談が多く残ってます。
セリフ途中で忘れたとか、言いながら考えごとしてたら
どこまで言ったかわかんなくなって困ったとか(おい)。
でも、舞台で失態をした記録はなく、むしろ安定感がある芸風で、
どんな役者さんと組んでもイヤがられないひとだったようです。
ふしぎ。そういうのをきっと、役者の柄の大きさっていうんでしょうね。
同時代のスター、役柄もよく似た六代目菊五郎は 、彼の甥。
「六代目」 と呼ばれたこの名優が、天性の才能と研究熱心さで
緻密な彫刻のような「型」を多く残し、
その名も芸風も長く語られ続けるであろうのに対して
橘屋 、
舞台の上での存在感に比して、むしろあっさりしたその芸風のせいで、
見てないひとびとにとっては、意識しにくい存在、
もはや忘れられるのは時間の問題なんでしょうか。
あ、もちろん、ここまで書いてナンですが、俺も見てません、当然。
生まれてねえって。
でもね、ギリギリ俺は、幸せなコトに、これらの役者さんの
息子さんやお弟子さんはリアルタイムでけっこう見てるの。
そういう役者さんたちの話や、同世代のひとびとが書き残したものを読んで、
俺は、なんとか、「こんなんだったろうなあ」っておぼろげなイメージをつかめるわけよ。
(その前、明治の団菊くらいだと見当もつかんが)
だから、そんな、不確かなイメージで申しわけないけど、それでも、
「こういう、お星さまのような、花のような 、
今からじゃ想像もつかないような役者さんがいたんだ」ってコトを
いちおう、語っておきたかったのだよ。
次世代への架け橋。
このヒトで好きなエピソードが、若い(年寄りも)
下積みの役者さんが「名代」っていう一人前の役者になるのに試験があってね、
幹部俳優たちの前で、それぞれ役をふりあてられて、お芝居して、採点されるのですが、
いずれおとらぬ名優たちにしてみりゃ見るに耐えない演技なワケだけです(笑)。
そのとき採点者のひとりだった
橘屋が言ってたのだ。
「俺はあいつらがどんな怖い思いであそこに立ってるかよくわかる、
だからどんなまずい芝居にも、俺は満点をつけてやるんだ」って
なんかいいはなし、チャランポランだけど(笑)。
生まれてから死ぬまで日の当たる場所にいて愛され続けた男の、
あっさりとしたこの優しさが、なんか好き。
汚れ役はしないひとでした。でも薄っぺらじゃなかったのです。
かっこだけじゃなく地からしてキレイなヒトだったんでしょうねえ・・・。
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