=『勧進帳』=
=52:『ゆくもかえるも別れては』 の巻=
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九郎判官義経様と武蔵坊弁慶のものがたり で もっとも有名なエピソードは、やっぱり、この
『勧進帳』 ってお芝居でやってる、これでしょう。
兄の征夷大将軍、源頼朝に謀反の疑いをかけられた判官義経
命からがら都を逃げ出してあちこち逃げ回ったあげく (このへんは『御所桜堀川夜討』『義経千本桜』 が詳しい)、
藤原三代の栄華、奥州平泉の藤原秀衡を頼るべく、山伏(修験僧) に化けて北陸道を北上、 途中の関所で正体がバレそうになりますが
弁慶、強力(ごうりき、荷物係ね)に化けてる主君の義経を 杖でバシバシ叩いてみせて
「こんなやつ判官様じゃございません」、つってごまかして逃げる、
あのはなし(長い)。
主君への忠義が最高の美徳だった時代、叩いてるほうがつらいのよ
必死で主君をたすけようとする弁慶の心に打たれて関守の富樫左衛門、バレバレの義経一行を、ついに目をつぶってみのがしてやります。
てのがお芝居のストーリー。
江戸後期の大立者、七代目市川団十郎 が 能の『安宅』 をモチーフにつくりあげた舞台、
それまでの華美一辺倒だった歌舞伎の演出とは一線を画した シンプルで格調高いデザインです。
そういうわけで、ストーリーはわりと単純だし、 江戸言葉とかのスラングが少ないからセリフはむしろ聞き取りやすいはずだし(スタンダードな古典文法じゃん)、 登場人物も少ないし、で、けっこうわかりやすい歌舞伎の演目にはいるんじゃないかと、俺なんか思うんですが、なんだか、
「わかんない」 らしい・・・
ポイントになる単語がもはや理解不能なせい?
そもそも「勧進帳」とはナニか とか、 「山伏」=「修験僧」とは何かとか。
・「勧進」 =寄付、主に寺、仏像の建立修理の資金集めを指します。
・「勧進帳」 =寄付を集めるための口上、主催者であるしかるべき高僧がりっぱな文章を書いて、 現場の僧はそれをヒトビトの前で読み上げて寄付を募ったの。 これを「その場ででっちあげて読む」 という離れワザを弁慶がやってのけたから すごいワケさね。
・「山伏」「修験僧」 =修験道の僧、熊野と吉野にいました。
「真言」 っていう原語(サンスクリット語)のままのお経の文句、これを 呪文みたいに唱えながら山の中で苦行にはげむアヤシイ集団
でも真言の呪文や仏に祈って行う「護法」は霊験があると信じられ、
だから、「ホンモノの山伏を怒らせるのは仏罰が当たってやばい」という意識が 関守の側にもあるのだ。そこがカケヒキ。
・「大檀那」 だいだんな=大旦那ともいう、
今言う「ご主人」のイミではなくて「寄付するヒト」のイミ。
檀家の檀ともとはは同じ意味で、語源はサンスクリット語です。
・「南都東大寺」 =「何と!!東大寺」と聞こえて混乱するんですが、 「南都」は「奈良の都」の意味
とか、押さえるとわかりやすいかなあ
去年襲名披露で尾上松緑くんがやってました、超よかったです、幸せ。
というかこのお芝居、弁慶ばかりが目立ち、ナニナニの型の見栄をどこでする、とか、 舞がどうとか飛び六法がどうとか、に目が行きがちですが
キホンは完成度の高い台詞劇、そして、
よく見ると主人公は、ただ立ってるように見える、富樫
声の高さも富樫のほうが甲(かん)の音つって主役の声だし。
描いたのも、だから、富樫、チナミにまたもや十五代目市村羽左右衛門
都で不穏な動きがあるってんで、イキナリ新関の関守にされて、
やってきたのはいかにもアヤシイ、バレバレの山伏一行
捕まえて首切ればすむんだけど、どうも、ホンモノくさくて怖い、
んで、いろいろ仕掛けてみる、応えるのが弁慶、呂の音。
いろいろあって、たぶん判官殿を逃がせば自分は死罪だけど、 弁慶の忠義ぶりに感動して、逃がしちゃう 、そこまでの葛藤劇です。
弁慶がひとりでバタバタしてたってぜんぜん名作にはならばいです。
だから富樫がちゃんと仕掛けないと、弁慶もお芝居ができないです。
だいたい弁慶役と同等か、ランクが上の役者さんがやるのもそのせい。
判官殿、義経に至っては「しゃがんでるだけ」 ですが、とにもかくにも 一軍の大将、
それなりの貫禄と、「この人ひとり逃がすことさえできれば」 と思わせる 人間の大きさが必要、
だいたい3人の中でイチバンえらい役者さんがやるかも。
設定をちゃんと押さえて、そういうひとりひとりの役者さんの役の見せかたを 見て、楽しむことができれば、
本当に歌舞伎らしいステキな舞台。
一度見てみてね。


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