=『小猿七之助(網模様灯籠菊桐)』=
=56:『真夏の夜の悪夢』 の巻=
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  『小猿七之助』  
こざる しちのすけ と呼ばれるお芝居、
原題『網模様灯籠菊桐』  
あみもよう とうろのきくきり。
現在、これ、通しで見られることはほとんどないです。
けっこうおハナシはおもしろいハズなんですが、なぜだろう。
全編通して江戸下町の本所・深川や、吉原の場末なんかの 品も治安も悪そうな一帯が舞台、 しかも、ずっと、夜。盗みや殺人や売春やアオカンの場面が続くから当然だけど。
「明るくならねえうちに」 っていうセリフが頻出します。 登場人物も、悪党ばっかり、舞台面も暗けりゃ、お話も暗いぞ。
悪人の中でもあんまり上等でないひとたちの物語です。
性格の悪い売春宿のオヤジとか、落ち目のチンピラとか、
昔の悪事の祟りで病気で死にかけの老人とか。
それらがいがみ合ったり殺し合ったり、ときにはかばい合ったり、
この、暗さというか、地獄をのたうってるような感じは 作者河竹黙阿弥の真骨頂ですが、とはいえやはり 出しにくい理由ではあるかも。
でも最後のシーン、唯一明るい昼間 、田舎の山の中の小さいお寺で 主人公の小猿七之助が前非を悔いて出家するシーンは、 そこまでの場面との対照があるからこそ効果的で、 お話全体がこれで救われるかんじで、いいんだけどな。
あ、今出すと出家しないで捕まっちゃう幕切れだそうです。
作者本人が変えたとはいえ、改悪だと俺は思うの。 勧善懲悪より、精神的な救い、じゃん、ねえ?
さて、このお芝居をエンターテインメントとして成立させるための最大の条件は、
「キャラクターをかっこよく演ってみせる」
これにつきるでしょう。
どうやってかっこつけるか、というテクニックの次元ではなく、
初演当時の役者さんがそもそもみんなかっこよかったのだ、うまかったし。
そのイメージにあわせて書かれたお芝居なので、 役者さんが素材としてかっこよくないと、出してもムダかもです。
というワケでここ十数年通し上演はナシ・・・ううむ・・・。
その中で、見せ所がわかりやすくて、カタチさえキレイに決められれば とりあえずなんとかなっちゃうのが、この、
『深川州崎土手の場』。
お大名の奥女中の瀬川様、普段は口もきけないような相手ですが、 それに中間(ちゅうげん 武家の使用人だね)の小猿七之助「やらせろ」 とせまるシーン。
昨今上演されるのはほとんどここだけ。ポーズとか絵になっててかっこいいでしょ?
「州崎土手」というのは、深川木場から海沿いに千葉方面に向かってもうちょっと江戸から離れて行ったへん、
岸に沿って、海の中、土手がず〜っと続いていて、さびしいけれど風情のある場所。
江戸の東端にあるので月の出や日の出が拝みやすく、 江戸市民にはなじみの深い場所でした。
夏の夜 、にわか雨と雷がやんだ直後の場面、
草いきれ、木や竹藪のニオイ、しめった潮風なんかで、 ムッとするような空気だったことでしょう。
遠くに聞こえる深川八幡前の茶屋町の場末の三味線や草むらの虫の音の中で、 夏の夜の短い夢みたいなできごと、
のはずのこのときから 登場人物たちの運命は 大きく変わっていきます・・・。
というかんじの場面。
ロクな人生送ってない登場人物たちの、 でも、ものすごくエネルギッシュな命の火花 みたいなものを、
江戸のはずれの夏の季節感とともに、ここでは感じたいところ。
そういう、いきいきとした圧倒的に力強い生命力が感じられるから、 地獄の底で悪人がのたうってるようなこのお芝居の中で 登場人物が「かっこよく」見える、という奇跡もおこりうるんでしょうね。
今、出せますかねえ、やっぱり難しいでしょうか、解説に「濡れ場で光る狂言」なんてトンチンカンなこと書かれてるくらいだから、もう、ムリかな。
 



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