=『心中天網島』=
=57:『魂ぬけてとぼとぼと』 の巻 =
『心中天網島』 しんじゅうてんのあみしま
昔ですが映画にもなってるので
タイトル聞いたことあるかもです。
近松門左衛門の傑作心中ものの一編。
近松の世話物作品はいずれ劣らぬ名作ぞろいですが、
このタイトルはその中でも、なんか、独特の緊張感があってすてきなかんじなのだ。
描いたのは主人公、紙屋治兵衛 かみや じへい という名前のヒト。
曾根崎、蜆川のそばのあんまり高級じゃない女郎の小春といい仲になって通いづめ。
妻も子もある28歳、昔の28なら現代ならだいたい2割増し、
34、5というところ、分別盛り。
紙問屋の主人でもあります。
まったくもう、ナニやってんだか。
遊女屋は特定の男が出来ると女郎の人気が落ちるから会わせまいとするし、
商売そっちのけで遊ぶからお店もタイヘン、にっちもさっちも行かなくなって、
もう、なんとか小春に会って一緒に死のうと、考えることはそればかり、
魂ぬけてとぼとぼうかうか
あ、これ、この場面の浄瑠璃(語り)の文句。
いかにもそんな感じで主人公の治兵衛が出てくるのです。
現行上演ではもうちょっとキレイごとな理由も付いてるんですが、
近松というヒトの書く心中ものは、
「追いつめられた男女の不幸と悲しみ」を書いてるフリして、
まあ素直にそのまま読んで「ああかわいそう」って泣くのも楽しいんですが、
じつは主人公に対してけっこうシビアで批判的な描写があって
「こいつバカだよ、ハメツして当然だよ」と、つい思っちゃうような主人公の言動が
そこここに出てきます。
治兵衛でいえば、この後のシーン、
一度小春と別れる決心をしてお店兼家にいる治兵衛、
奥さんのおさんが店も使用人仕切ってあれこれ心配しながら立ち働いてるのに、
治兵衛、のんきにこたつでウトウト。
そんで姑と兄貴がやってきたら、あわてて起きてそろばん出して、
仕事してるフリ。どうよ、ヒトとして。
こういう、主人公の甘さ、弱さ、ずるさをそっとシビアに描くことで近松は
心中して死ぬふたりは
「周囲に追いつめられた被害者」ではなく、
「生き方がまずかった結果として破綻した人生をやむなく引き受けて死ぬ
ただのかわいそうな人」なんだと
言いたいのではないかと思うのです。
仕事も家族ももっと大事にして、一生懸命ふだんから生きていたら、
もっと人生を大事にもするだろうし、自制心だってつくだろう、
ちょっとした、ストーリーに直接関係ない日常を描写することで
そんな治兵衛の自業自得っぷりを感じさせてくれるのです。
だからこうやって、とぼとぼとぼ、と歩くこのシーンも
ただ恋人に夢中でフワフワ歩いてる、というだけじゃなく、
治兵衛のヒトとしての弱さを、ふと感じてしまうシーンでもあるのです。
まあ現行上演だとずっと恋愛色強いです。わかりやすい「恋ゆえの心中」。
お芝居は人形芝居と違って役者さんのイメージとの兼ね合いもありますから、
あんまり主人公バカなのもつまんないんです。それもまたよし。
でもやっぱ、ヒトというのは悲しいものだと思います。
お互いの弱さや欠点や感情の食い違いなんかが悪く噛みあってしまうと
いつのまにかどうにもならない事態になっていて、
一番弱い誰かが追いつめられてしまう。
分別のある誰かが意見しても、もう止まらない、
そんな悲しさ、心の闇、世の中の闇、
そういうものを常に近松は描こうとしているんだと思います。
でも、そういう闇を中に抱えながら、ヒトは一生懸命相手を信じて生きていくんですよね。
そんな生き方の大切さもまた、近松の言いたかったことなんだろうと思います。
名作。
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