『平家女御島・俊寛』
=58:『行くも地獄、残るも地獄』 の巻=
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  夏です。
常夏のアイランドでビーチリゾート、
シーフードグルメを堪能しつつ島の娘とフォーリンラブ
・・・違うって。そういうお話ではなくて、
「罪なくして罪をかうぶりて 配所の月を見ばや」と 人生ナメた事言ったのは、源顕基  みなもとのあきもと。
ホントに罪人になるのはイヤだけど、どこかさびしい場所に流されて 一人ゆっくりぽつねんと月を見るのは、風情があって楽しそう、
なんてリゾート気分なこと言ってられたのも、彼の時代は平安朝もまだまだ全盛、 政権が安定してたからでしょう。
それからほぼ100年、平安も末期の末期、
平清盛が最も暴虐の限りをつくしてたころ、
法勝寺の執行(しゅぎょうと読む、けっこう高い役職)、俊寛僧都 は 反乱の陰謀がバレて捕らえられ、仲間2人とともに鬼界ヶ島に流されます。
『平家女護島』 へいけ にょごがしま 二段目、
通称『俊寛』  しゅんかん
反乱分子を流すにもいろいろ場所があって、須磨や太宰府だと いちおう役付き、御殿付き、それなりの暮らしができます。 佐渡や隠岐は天皇クラス流すだけあって(世阿弥も流されたね)、 やっぱりまあまあなあつかい。
そんで、鬼界ヶ島なんつったら、もう、流しっぱなし。フォローなんにもなし。 俊寛も海草ひろって食べてなんとか生きております。
それでもまあ、少しは楽しいこともあるもので、流された仲間の丹波少将経成 が 土地の娘の千鳥と結婚します。めでたい。
と、そこに赦免船がやってきます。でもイジワルな役人がいて あれこれモメて、さらに「千鳥は乗せない」とか言われて、 俊寛、ついにその役人を殺して自分のかわりに千鳥を船に乗せます。
自分で決めたこととはいえ、もとより出家の身、浮世に未練はないはずとはいえ、 やっぱり都は恋しい、ひとりはさびしい。

 思い切っても凡夫心〜〜

思わず船をおいかけ、ぼうぜんと見送る俊寛。
そんな幕切れ。
現代劇風なナサケなさや弱さを見せすぎないように、 やせてもかれても現政権転覆の陰謀の首謀者、大人物、 そんな人間的なスケールの大きさをそこなわないように 失意の感情を表現するのが、むずかしいところでもあり、見せどころでもあります。
それと同時にこのお芝居で感じたいのは、この時代そのもの、 陰謀とチクリと配流が日常茶飯事だった時代の 不安感や人心のすさみぐあいみたいな。
「配所の月を見ばや」なんて悠長なコト言ってられない。
これから200年もして南北朝のころ、 むほんの疑いで役人につれて行かれるひとを見て 「うらやましい、この世の思い出にあんな目にあいたい」 と言ったのは日野資朝  ひの すけとも。
この境地もすごいよね。
こういう無常観みたいのがその後の武家社会の美意識をつちかっていくんでしょうね。
んで、俊寛のころはまだそこまでじゃねえから、 ある時代の終焉、自分たちの属する秩序が崩壊していくのをまのあたりにしながら その中で生きなければならない、 不安、あせり、無力感、 そういう心象風景が鳥もかよわぬ鬼界ヶ島の荒れはてた景色に ぴったりかさなります。
いじわるな役人も地獄の鬼のよう。

  鬼界ヶ島に鬼はなく、鬼は都にありけるとや〜

そんな時代には、ヒトの愛情や友情は、美しいけどはかなすぎ。
それでも、そのつらく苦しい現世に、ヒトとしての弱さを抱えつつ 俊寛、がんばって耐えて生きています。
そんな力強さがあるから、泣いても、叫んでも、俊寛、 やっぱり雄々しく見えるわけさね。
それが表現できなきゃ歌舞伎じゃねえさね。ねえ?